「『組織』。知らないとは言わせないわよ」
羊子は睨みつける。しかし、俊一はとくに怯まない。
「幼児期に誰でも受ける、予防接種。そこに奴等は目を付けた」
羊子のいうところの『奴等』とは、すなわち、
「『組織』の行ったのは、公的人体実験、とでも言うのかしら? とんだ話だわ」
俊一はしかし、首を横に振った。
「ダメだよ。それ以上介入しないほうがいい」
「これは歴史的発見よ」
「触れちゃいけないブラックボックスさ」
「じゃ、消されるのかしら? 私」
「……無視されるだけだ」
羊子は行き場のない苛立ちを、データの書かれた資料を持った左手で机にぶつけた。
「1999年? ずいぶんといい加減な告知だったわね」
「ヨーコ。もういいじゃない。どこで盗聴されているのかわからない」
「だからなんだって言うの」
「冗談抜きで消されるよ」
羊子はしかし、言葉を止めない。否、止める理由と術を知らない。
「まだ、あの子たちは『潜んでいる』段階だわ。間に合うかもしれないのよ」
羊子の中の、彼女なりの正義が、燃えているのだろう。
「間に合うかもしれない……救えるかもしれないの」
「無理だよ」
「無理じゃない」
「もう遅い」
「シュン!」
羊子はヒステリックに叫んだ。
「私にこれ以上、不可能を突き付けないで。私にだって救える存在が居る筈なの。あんたは悲しくないわけ? 征二君は、死んだのよ!」
「……そうだよ。でも、さ」
俊一は心底申し訳なさそうに、しかしどこか冷たい目で、羊子を突き放すように言った。
「人が人を救う? それは驕りじゃないのか」
「そうだとしても、私は、前に進みたい」
羊子は、裏切りや失敗を恐れない。何故なら、その先に得るものを知っているからだ。
「シュン、あんたが私を消すの?」
「まさか。返り討ちに遭うだろ」
「どうだか」
「デリートは別部隊の仕事だ」
そう言って俊一は、ため息をついた。
「この国は、いや世界は『組織』が裏で暗躍して成り立っているんだ。教職、医師、弁護士、政治家、町の八百屋や魚屋にも『組織』の人間は潜在している」
「目的は何」
睨みつける羊子に、俊一は余裕の笑みすら浮かべる。
「ヨーコ、思ったことない? 『もしも奇跡が起きたなら』って」
「それが何だって言うのよ」
「不可能を可能すること。それが組織の目的。究極を言ってしまえば、奇跡を人為的に起こすこと、さ」
羊子は蔑むような目で俊一を見やった。
「人為的に起きたらそれは、既に奇跡なんかじゃないわ」
「そうかな?」
「命そのものが、奇跡よ。そこへの侵襲は、命への侮辱だわ」
「……そうかもね」
「シュン。悪いけれど、私、行くわ」
「どこへ?」
「私が救えるはずの者たちの暮らす場所へ」
「…………」