羊子は煙草を吸いながら、征二の遺言に目を通した。
「……予言、か」
向かいで同じく煙草に火をつけながら、俊一がつぶやいた。
「俺が馬鹿だったよ」
「知ってる」
「相変わらずだな。まぁいいけど」
「単刀直入に聞くわ。あんた、なんで手ぇ染めたのよ」
「『組織』は約束してくれた……手を貸せば、征二の病気に効く、未承認の特効薬を治験の名目で使わせてくれると」
「で?」
「結果の通りだよ。俺は成果を出せなかったし、征二は―――間に合わなかった」
「本当に特効薬なんて貰えたのかしらね。甚だ疑わしいわよ。シュン、あんたもきっと被害者ね」
「……かもな」
「でも、一番の被害者は征二君だから」
「……そうだな」
「ヒロは?」
羊子は煙草をふーっと吐き、俊一を見やった。
「組織から託された『実験体』だ。奇跡を体現した存在だとさ。しかし、人間としての感覚、感情が欠けた状態だった。だから、それを『奪う』ことで『完全な奇跡』になろうとしているんだ」
「ハッ」
羊子は苛立ちと蔑みをこめて鼻で嗤った。
「奇跡だの、完全だの。組織ってのは、脳味噌お花畑集団?」
「全貌は俺も知らない……。けど、ヒロの遺体が利用されてるってのは、間違いないだろ。託された時、ヒロは何も覚えちゃいなかった」
「あんだけケンカした私のことも、すっかりだったわね」
「最近、あいつは『痛み』を知った」
「奪ったのでしょう、誰かから」
俊一は頷いた。
「その誰かってのは、樋野麻衣子だよ」
「麻衣子ちゃんから?」
「あいつは今、あの子の笑顔を欲しがってる」
「欲張りな奴ね」
「その前に、強欲な主婦から恐怖を奪ったからかな」
「は?」
俊一は、声を一層ひそめた(そのことに意味がないのは重々承知の上なのだが)。
「『死にたい、死にたい』と周囲に漏らしながら、誰かに殺されたがっていた女性がいた。知ってるはずだろ、ヨーコはあの辺の管轄なんだから」
「まさか――」
確かに、主婦の遺体は、面影橋に、あった。
「ヒロがやったの?」
「いや。直接は手を下してない。ヒロはその女性から、自殺への躊躇いの根源にあった『恐怖』を奪った。恐怖を奪われた瞬間から、その女性は、笑いながら泡を吹いて、自分で首を絞めて、すぐに逝ったよ」
「……気分の悪くなる話ね」
「間接的に殺したようなもんだけど、そんなことを言ったら、誰のどの言動が、誰を殺すかわからないだろ」
「そんなの屁理屈よ」
俊一はため息をついた。
「さらに、その場には黒蝶が存在した。それをヒロが欲しがったから、俺がその場で捕まえて半分に切断した」
「あんただったの!? ちょっと、本気で許せない。どうして、そんなことをしたのよ」
「黒蝶とは言え、生命体を所持することは、ヒロに悪影響を与えるからだ」
羊子はタバコの煙を乱暴に吐いた。
「神経質なまでにご丁寧な真っ二つにするあたりが、確かにあんたらしいわ」
「そういう訳だ。ヒロに、会うか?」
「言ったはずよ。私は、私が救える存在の元へ行くと」
そう言ってタバコを灰皿に押し付けて消して、席を立った羊子の後姿には、もう一切の迷いが無かった。