なんとなく歌を歌えばそれとなくリズムを刻むきみとの暮らし

◈梅雨

雨のなか白い紫陽花を睨んで私の名前を呼ぶのはやめて

とある日曜日、小雨のときは傘をささないきみが、ふと公園で立ち止まって「アナベル」という名前の白い紫陽花をじっと見ていた。

みるみる、きみの視線は鋭利になっていく。私はとなりで、傘を片手に祈るような気持ちで、その様子を見守っていた。

「どうして、この紫陽花は白いんだろう」

きみはゆっくりと呟く。

「灰色の街に白って、相応しくないと思わないか」
「そういう品種なんじゃないの」

私が身も蓋もないことを答えると、きみは黙ってしまった。少しののち、雨が少し強くなってきた。

やがてきみの口から放たれたのは、他ならぬ私の名前だった。それが呼びかけなのか、それとも独り言なのか、俄かにはわからなかった。

ただひとつわかったのは、このままではふたりとも風邪をひいてしまうだろうということだ。だから私は、強がって笑ってみせた。

「大丈夫だよ」

だって私たちは、同じ家に帰るのだから。

曇天を裂くように咲く紫陽花に触れて色づくきみのため息

だんだんと雨の降り方が訥々となっていく。取り残された雲たちが、所在なげに浮かんでいるのが見えた。

帰宅するときみは歩き疲れたのか、リビングの椅子に腰かけ、深くため息をついた。私がグラスに麦茶を注ぐと、きみはそれを一気飲みし、再びため息をついた。

「紫陽花は、曇天を彩るために咲くでしょう」
「うん?」
「曇天の灰色に、白はどうかと思うんだ」
「どうして」
「……どうしてだろう」

それきり、きみは口をつぐんでしまった。私も深く問いかけることはしなかった。リビングの窓から見える雲が、静かにその姿を変えつつ空を支配していた。

◈盛夏

蝉の声にそそのかされて傷つけた人の数だけ呼吸を止めた

過ぎたことをすべて昔話だと、割り切れる人はどれくらいいるだろうか。

暑い、と口にするのも嫌になるくらい暑い日が続いている。蝉たちの鳴き声は、さながら街のBGMだ。私は仕事帰りにきみにメッセージを送った。

「たまには外で食べよう」

なかなか既読がつかない。やきもきしながら電車のホームのベンチに座っていると、女子高生と思しき集団が、ひどくはしゃぎながら隣に陣取った。

途端に私の鼓動はぎこちなくなる。やけに丈の短い制服のスカート、マスコットまみれの通学カバン、似たような白のソックス、爆笑と陰口をミルフィーユにしたような大きな話し声。

――違う、私は彼女たちと無関係のはずだ。それでも頭の中で反響するのは、あの息苦しかった日々のざわめき。クラスメイト達からの心ない言葉や態度の数々。蔑みきった視線を刺してきた教師たち。汗のにおいに支配された、そこはまるで四角い監獄――うまく呼吸ができない。

ぴこりん、と軽やかな音を立てて、私のスマートフォンが鳴った。私のひたいは暑さのせいだけではない汗でぐっしょり濡れていた。音は、きみからのメッセージの着信だった。

「外食、いいね。仕事が終わったら改札で待ってるよ」

そうだ。私はもうあそこにはいない。あの監獄から、私は逃れられたのだ。今は、きみと静かに暮らしているだけの、ただの一市民だ。――大丈夫、大丈夫だから。私は必死に自分にそう言い聞かせた。

女子高生の集団は、相変わらず騒がしいまま、快速列車へと乗り込んでいった。私はどうにか動悸を鎮めようと、そっと深呼吸した。

すると、ホームにまで、街の居酒屋からと思しき焼き鳥の匂いが漂っていたことに気づいた。あまりの香ばしさに、ああ、ここにも人々の暮らしがあるんだな、と思いを巡らせた。

「今夜は焼き鳥の気分」

今度はすぐに既読がつき、「いいね!」を表すネコのキャラクターのスタンプが送られてきた。

降り注ぐ陽光のなかほどかれる過去は過去だと捨て置けますか

私たちは比較という抑圧の中に暮らしていると、つくづく思う。偏差値やら学歴やらに未だに固執し、人が人をランク付けしたがる社会が息苦しいのは、ある意味当然のことだ。

きみはその抑圧から、壮絶な苦しみと共に脱却した一人として、今は穏やかに私と日々を過ごしている。あの頃の葛藤と苦悩があったからこそ、今この街で暮らせることの尊さを、心から実感できるのだという。

嗤うよりは嗤われる方がいい、とはきみの信条で、だからきみは時としてわざとピエロを演じることもある。嗤いたい人にはそうさせておけばいい、と十分に心得ているのだ。

それでも、過去という名の影はしつこくつきまとい、私たちを苦しめることもしばしばだ。それでも、日々は粛々と流れていくのだけれど。

真夏のとある土曜日のこと、クーラーの効いた部屋で読書をしていたきみは、ふと顔をあげてベランダに揺れるふたりのTシャツをじっと見つめた。

「自由にはさ」
「うん」

私はソファーに寝転がりながら、気の抜けた返事をする。きみは頬杖をついた。

「自由には、過去がないんだよ」
「へえ」
「つまり、引きずる影がないんだ」
「うーん、詩人だねぇ」

私は起き上がり、キッチンの隅に置かれた藤かごの中から、チェーン店のコーヒーショップでもらった豆菓子の小袋を取り出した。その中から一粒を取り出し、空中にぽーんと放って口に入れてみせると、きみは「ふふっ」と笑ってくれた。

蝉の鳴き声は徐々に、ヒグラシへとバトンタッチする時期になったようだ。まるで泣いているようにも聞こえるその鳴き声に、しばしふたりは耳を傾けた。

――確信はないのだけれど、きっと、私たちは、間違っていない。

◈秋思

舞い落ちるその一葉いちようを目で追ってそのままふたり踊り続ける

あんなに青々とした葉っぱたちが、秋になって寒さを増すと鮮やかな赤や黄色に変化する。徐々に寂しくなっていく街に、まるで彩りを添えるように。

私たちはよく晴れたその日、ドライブで奥多摩方面を目指していた。都心とはまったく趣の異なる、自然が豊かなその場所が、ふたりのお気に入りだ。私は助手席から見える、紅葉した樹々にすっかり気分を良くしていた。

「窓、開けてもいい?」
「今日は冷えるから、ちょっとならいいよ」

助手席の窓を数センチだけ開けると、それだけでも澄んだ空気が感じられた。車はどんどん進み、やがて奥多摩湖へとたどり着いた。奥多摩湖というのは通称で、人造湖なのだ。正式名称を「小河内貯水池おごうちちょすいち」というらしい。

駐車場に車を停めて湖に向かう。しばらく湖面を見つめていると、ふいにきみが話し出した。

「例外なく、ここもいわくつきでね」
「なに、歴史の時間?」
「どんな場所にも物語ってあるでしょう」
「確かに」

すると、きみは突然、わざとらしく真顔になってみせた。

「ここに沈んでいるのは、とんでもないものでね……実は――」
「怖い怖い怖い怖い」

全力で「待った」をかける私を見て、可笑しそうにきみは手を叩いた。

急に強い風が吹いて、湖面を波打たせ、近くにあった樹々からざあざあと枯れ葉が舞い飛んでくる。「ひゃあ」と私が声を上げても、きみはまだどこか楽しげに私を眺めていた。

終わりとは意味のあること秋楡あきにれに託す言葉を一緒にさがす

枯れ葉が風に舞うのを見ると、決まって思い出すことがある。出典はきちんと知らないのだが、「出会いは偶然でも別れは必然」という言葉だ。

いつの日か、必ずやってくる、別れという名の終わり。ふたりは、永遠にふたりでいることはできない。枯れ葉がはらはらとダンスするのをオフィスの窓越しに見て、私は思わず泣きそうになってしまった。

心配した同僚に早退を勧められたので、ありがたくそうすることにした。ラッシュ時間帯ではないために空いた電車の中で、座席の隅に身をうずめて、私はぼーっと流れゆく車窓の景色を眺めていた。

きみには、メッセージで早退することだけを伝えていた。だから、受信したメッセージに、「終わりがあることにこそ、意味があるのかもね」と記されているのを見たとき、私の目から、ぽろぽろと涙があふれた。

そのまま列車が自宅最寄りの終着駅に着くまで、私は声を殺して泣き続けた。

◈寒月

月までも凍える夜に寄り添ってホットミルクの膜がくるくる

息を吐けば白く消える季節。朝は寒くて目が覚めるし、夜は足先が冷えてなかなか寝付けない。ベッドの上でごろごろしていたら、きみを起こしてしまったようだった。

「眠れないの?」
「うん」
「そっか」

きみはあくびをしながら起き上がり、キッチンに向かった。私ものろのろと体を起こして、そのあとについて行った。きみは冷蔵庫から牛乳を取り出し、マグカップに注いでラップをかけ、電子レンジにいれた。

牛乳が温まるまで、時間にしてたぶん1分半ほどだったと思う。そのかん、私たちはどちらからともなく手を繋いだ。温められた牛乳には、薄い膜が張っていた。

「この、膜が張るのは『ラムスデン現象』っていうらしいよ」
「ふうん」

きみの知識の源泉は、おそらく読書だろう。いつもながら私は感銘を受ける。膜に息を吹きかけると、それはどこかおどけたような様子でくるくると回った。

ふと、カーテンを開けて夜空を見上げた。凍った月が、こちらに柔らかく微笑みかけているようだった。

「寂しい」が「助けて」になるその前に雪が降ったら逢いにゆくから

私たちの暮らす街には珍しく、かなりの雪が積もった。公共交通機関はダイヤが乱れて、とても通勤できる状態ではない。無理して出勤することもないだろうと、私はテレワークを職場に申請した。

きみといえば、朝から一向にベッドから出てこない。仕事は? と尋ねたが、「休む」と答えたきり、なにも言ってくれない。

きっと、疲労が溜まっているのだろう。そう思って、私はテレワーク用に整えたリビングでパソコンに向かった。メールの返信やオンラインミーティングに追われて、あっという間に午前中が過ぎた。

正午を過ぎて、そろそろランチを食べようと思い、寝室のきみに声をかけた。しかし、返事がない。きっとすやすや眠っているのだろう、せっかくの休みの邪魔をしてはいけない。

私は鍋にお湯を沸かして、乾燥パスタを半分に折ってその中に入れた。茹で上がる間に、トマトソースを電子レンジで温めておく。パスタはふたり共通の好物で、なんでこんなに手軽なのにこんなに美味しいんだろうね、としみじみ語り合ったこともあるほどだ。

それにしても、起きてくる気配のまったくないきみに、午後三時を過ぎたあたりで、さすがに心配になった。午後イチのオンラインミーティングが終わったタイミングで、私は寝室に顔を出した。

すると、きみはちゃっかり起きていて、しかもカーテンを開けてちらちらと降る雪を眺めていたのだ。

「なんだ、寝てたと思ったよ」
「寂しくてさ」
「え?」
「この景色、すぐ消えちゃうから」

この景色、とは白銀の街並みを指しているのだろう。雪に閉じた静寂に、きみは果たして、なにを想うのだろうか。

◈春愁

あたたかい風の吹く日の憂鬱に痛みときみがリエゾンをする

季節というのは実に律儀で、冬のあとにはきちんと春が巡ってくる。日もだんだん長くなってきて、道傍にも野花が顔を出し、街全体がパステルカラーに包まれるような気さえしてワクワクする。

あたたかい風はしかし、きみに平穏をもたらさなかった。春風は、きみに言わせれば「生ぬるい」風なのだという。

あらゆる命が蠢く季節。胎動するのは、きみの中に眠っているはずの傷も同じことだった。

川沿いの散歩の途中で見つけた、一輪のたんぽぽにスマートフォンのレンズを向ける私に、きみはさっきから険しい視線を送ってくる。

「どうしたの」

私は、スマートフォンに目をやりながらきみに声をかける。するときみは、自らの心臓のあたりを拳で軽く、とんとんとゆっくり叩いた。それから、ゆらりと私に歩み寄ると、今さっき私が撮ったたんぽぽを、躊躇なく摘んでしまった。

「何するの!」

私が抗議しても、きみの興味関心はもう、己の中にしか存在しないようだった。きみは手荒く摘んだそのたんぽぽを、一転して宝物でも扱うように丁重に、私に手渡してきた。受け取る以外の選択肢が、私にはなかった。

春風が吹いて、ふたりの髪をふうわりと揺らす。夕暮れ迫る川が、まるで太陽がとろりと溶けたみたいに、金色にまばゆく輝いていた。

あやまりはどこにもなくてクッキーがうまく焼けたら今日もいい日だ

人が人を判じようとするとき、その基準は法律であったり、慣習であったり、常識であったりする。そのいずれにも当てはまらない倫理のなかで、たぶん、きみと私は呼吸をし、日々を送っている。

よく晴れた日曜日、きみと私は気まぐれにクッキーを焼いた。家にあるものだけで作れそうなかんたんレシピを、きみがアプリで見つけてくれたのだ。材料を混ぜてよく捏ねて、生地を少し寝かせてから型抜きをする。焼く前の手順はそれだけ。

予熱しておいたオーブンに、星型のクッキー生地が並んだ天板をいれる。スイッチを入れて、あとは焼きあがるのを待てばいい。実にシンプルだ。

徐々に生地がぷくっと焼き色をつけながら膨れてゆくのを、ふたり並んで見守った。なんだかとても、くすぐったい時間だった。

ふと、きみが笑った。「くくっ」とくぐもった声で笑った。私も楽しくなって、「ふふっ」と笑った。オーブンから、いい香りが漂ってくる。誰がどう責めようが罵ろうが評しようが、そんなものは、その辺に放っておけばいい。

午後三時、きみと私は、ふたりでつくったクッキーをインスタントコーヒーとともに食べた。クッキーの出来栄えは素晴らしく、それだけでもう、今日もいい日だと信じられるのだった。

そして季節は巡って

雨の夜は壊れてもいい私ならおんなじ傘でずっと待ってる

やがて季節は梅雨を迎え、しとしとと雨の降る夜のことだ。きみがずぶ濡れで帰宅した。傘を持って出かけたはずだが、きみは敢えて雨に打たれたのだろう。

シャツの色が濃く変わるまで濡れていたものだから、私は着替えとシャワーを促した。しかしきみは、首を横に振った。前髪からぽたぽたと、しずくがテーブルに滴っている。まるで泣いているみたいだった。

風邪を引くかもしれないけれど、それ以上の心配はしないようにした。風邪を引いたら、治せばいいのだから。そう、もしも壊れたとしても、そのままを肯定すればいいだけなのだから。そしてそれは、ふたりにならできることだから。

ずっと抱き続けてきたその予感は、確信に変わる。私たちは、間違ってなんかいないし、そもそも他人が正誤を判定したがる「ものさし」なら、とっくにへし折って遠い季節に捨ててきたはずだ。

きみはうつむいたまま、肩を揺らして笑っている。その向かいで私は、よく冷えた麦茶をグラスに注ぎ、きみに差し出す。きみは腕を伸ばしてそれを受け取り、一気に飲み干すと、長く長く息を吐いた。

沈黙が部屋に降りて、時計の秒針が勤勉に動く音だけが響く。しかし、その空気は不思議と重苦しくはなかった。むしろ、ありのままを受容しあっているようで、心地よさすら感じた。

「待ってるよ」

私は、きみにはっきりと告げた。

「ずっと、ここで待ってるからね」

間違いない。今、きみの目元をるるっと流れたものはきっと、一筋の光となって、いずれふたりの道を照らすことだろう。

なんとなく歌を歌えばそれとなくリズムを刻むきみとの暮らし

週末は多くの人が浮足立つが、私たちも例外ではない。梅雨の晴れ間に恵まれた金曜日、散歩帰りにふたりで夜の喫茶店に行った。この季節、決まってきみはマンデリン、私は水出しアイスコーヒーを注文する。

読書にふけるきみのとなりで、私はA5サイズのノートに短歌を詠もうと四苦八苦している。「うーむむむ」などとうなりながら、「てにをは」や語順、詩情などについて、おそらく仕事以上に真剣に頭を悩ませている。

ふと、店内のBGMが切り替わって、ジャズからポップスのインストゥルメンタルになった。それが、青春時代によく聴いたヒット曲だったものだから、私は思わず体をそっと揺らして、小声で歌い始めた。

すると、きみは本を置いて、とんとんと指でテーブルを軽く叩き出した。どうやら歌のリズムに合わせてくれているらしい。サビに入るころには、私たちはすっかり楽しくなって、その曲を最後まで堪能した。完走後、ふたりは笑いあって、グータッチをした。

たとえ永遠が叶わなくても、私はずっときみのそばにいたいと願う。水彩画のように儚く滲むきみの意識のとなりに、私がいること。過去からなかなか自由になれない私の影のとなりに、きみがいること。今、こうして、寄り添っていられること。ふたりがふたりでいる意味を、両手でそっと包みながら、これからもずっとこの街で、きみと暮らしていきたい。

たいせつをたいせつにするためならば傷もまるごと愛してみたい