第十一章 因果

愛と正義は何処にあるのか。そんなもの、どの宗教でも啓発本でも、それこそ広辞苑やウィキペディアを引けば載っているだろう。「そんなものに定義はない」と。
しかし、生命に終焉があるのと同様に、愛や正義は結実するものではない。言い換えれば、それらは安穏の地には存在しないということになる。流転し続ける季節の中で、漫ろに巡った命たちがそれを証明しているではないか。時間は容赦なく流れる。その中で結んでは腐り朽ちていく果実。そこに永遠の約束を求める事が如何に愚かしい行為であるかは、葉山にとっては火を見るより明らかな現実との咫尺であった。
彼は自分の前髪から滴る雨粒を指で掬い、そっと舐めた。都会に降る雨なので決して綺麗とは言えないが、少なくともあの時味わった味に比べれば、まだマシだと思う。
血は穢れで、水は清らかなものであるという信仰が古来よりどの国、どの文化にも多く見られてきたのは、それが縮図であることの根拠であろう。即ち、宇宙の中に自分という存在を認識させるためには、清らきも穢れも、絶妙なバランスで達成されていることが前提であり、生命の存在そのものが既に、そこに在るだけでそれを満たしているのだから。
しかし、そんなことなど考えるに及ばずとも、若宮郁子は理解していた。小難しい理論など咀嚼しなくても、信念を以てそれを理解し、そして戦い抜いた。世の不条理、そう、いびつな天啓と。

……雨だろう。今、自分の顔を濡らしているのは雨に違いない。純粋な悲しみは、人に只管雨を降らせるのだ。
葉山は歩きだした。靴音が先程よりも大きく耳に響くような気がした。その音に集中しようとしている所為かも知れない。今日の雨がたった今起きた悲劇を消してくれることはないが、彼の決意を固めてはくれた。
言うなれば、文字通り自分で播いた種だ。彼は自分の過去と、自分の影と、自分の欲望と闘わねばならない。それが他の人間と違う点を明示するのならば、それらの存在が対外的なことである。彼は、自分の内なるものと、対峙して向き合わねばならないのだ。
「いいだろう」
葉山はもう一度その言葉を口に出した。そう、いいだろう。来るなら来るがいい。来ないのならば、こちらから向かうまでだ。自分を、そして彼女の想いを守るためにも。

「武器なんて、いらなかったんだってば!」

ごめん。その言葉は、守れそうにない。

それでもどうか、許してほしい。神だろうが都市伝説だろうが、その誰に許されなくても、君にだけは許してほしい。そして、偶さかでいいから微笑んでほしい。その一瞬があれば、僕は僕として、生きていけるに違いないから。